暑さに乾杯!カヴァで乾杯!
- bongout7
- 2024年6月28日
- 読了時間: 9分
来週からは7月です。

ほら、こんなに世界は青くてギラッとしています。

早朝の日差しも力強く。
え、これ8月じゃないのですか?
もう十分暑いんですけれど、これ以上の気温になるってことですか?
恐怖!不安!
こんな時、無類の酒飲みならば、
よし!ワインを飲んで楽しくなるしか!
という発想に至るでしょう(暑くても寒くても常にそうとも言えるが)。
わたしはそういう発想の酒好き人間を何人も知っています。
※命の危険を感じる暑さの元でのアルコールの摂取は脱水の恐れがあるのでおやめください。日暮れ後か涼しいお部屋で。
という事で、ワインの紹介です。
スペインはバレンシア地方のカヴァです。

ブドウはシャルドネ50%、マカベオ50%。
10か月熟成、ガス圧は5.5気圧。
林檎や柑橘などのフルーティーなニュアンスにトースト香が程よく、口に含んだ時にふわーっと豊かな香りの広がりがあります。
しっかりコクがあり飲みごたえを感じますが後口はすっきりドライ。
さて、カヴァとは何ぞや。
カヴァとは、スペインのカヴァD.O.に認定された地域にて瓶内二次発酵製法で造られた発泡性のワインの事を言います。
カヴァD.O.は北はカタルーニャ州、南はエクストレマドゥーラ州やバレンシア州とスペイン国土の広域に点在する産地です。
ただ、生産量の95%はカタルーニャ州に集中しており、さらに言うとそのうち85%をバルセロナ県San Sadurni d’Anoiaという地域が占めています。
なんとカタルーニャ州産以外が5%だけ。
つまりご紹介したワインはその5%のうちのひとつです。
希少なんだかどうだかは分かりません。
希少だから旨いというわけでもないし、旨くないと言っているわけでもなく、旨いですが旨いのは希少だからではないはずで。
使われるブドウも決まっており、
白ブドウの品種ではマカベオ、チャレッロ、パレリャーダ、マルバシア・リオハーナ、シャルドネ、
黒ブドウの品種ではガルナッチャ・ティンタ、モナストレル、トレパット、ピノ・ノワールが認定品種です。
黒ブドウで造るロゼもあるんです(細かい決まりがあるのですが割愛)。
熟成期間によって表示が変わりまして、
Cava de Guarda(カヴァ・デ・グアルダ)と書かれているものは瓶詰めから滓抜きまでの瓶貯蔵・熟成期間が最低9か月のもの。一番短めです。
Cava de Guarda Superior(カヴァ・デ・グアルダ・スペリオール)オーガニック栽培のブドウを100%用いています。
このうち、熟成期間が最低18か月以上のものをReserva、
熟成期間が最低30か月以上のものをGran Reserva、
熟成期間が最低36か月以上で、さらに限定された畑や区域内のブドウを用い、樹齢や収量、収穫方法、圧搾の搾汁量その他もろもろなど厳格な規定に従って造られたものをCava de Paraje Calificado、
と表記しています。
他にも独自の呼称を用いている生産者協会とかあったりするのですが、それはややこしいしあまり見ないので割愛。
覚えていられないので、Cavaの後に単語が付け加えられて長くなるほど熟成期間長くて高級であるくらいの認識でもはや問題ないです(無責任だけど)。
説明されてもワインのラベル表記ってよく分からないという方が多いと思います。
が、とてもざっくりですが特に産地に関しては表記が細かく最終的に畑の一区画レベルの細かさになるほど高級です(値札見りゃすぐ分かるけど)。
フランス産よりもフランス・ブルゴーニュ産、さらにフランス・ブルゴーニュ・ジュブレシャンベルタン産、さらにフランス・ブルゴーニュ・ジュブレシャンベルタンのリュショットシャンベルタン産となると超高級です。長い長い長すぎる。
ちょっと何言ってるのかちんぷんかんぷんしっくりこない方は土地勘があって分かりやすい日本の米で考えてみましょう。
新潟県産コシヒカリよりも新潟県魚沼産コシヒカリの方がより良く、新潟県南魚沼塩沢地区とさらに細かく限定されていくとより良い米、という感じと同じです。
脱線しました。
カヴァ以外のスペイン産の発泡性のワインは総じてEspumoso(エスプモーソ)と呼びます。
発泡性のワインの呼び方が国によって違うので、とりあえず全部シャンパンって言っちゃうやつ、あるあるですよね。
発泡性ワインの呼び方は、フランスだとヴァン・ムス―とかクレマン(シャンパンはシャンパーニュ地方で造られる瓶内二次発酵のもののみを指します。もっと言うと色々規定があるのだけど割愛)、
イタリアだとスプマンテ、ドイツだとシャウムバインやゼクト、などとばらばら。
各々の国によってカヴァとかシャンパーニュみたいに認定地域で造られたものはそれぞれの呼称があるのですが(フランチャコルタとか、)ここでは割愛。
そして残糖量の表示も覚えておくと甘さの度合いを知ることができます。
ここではスペインの表記に限ってご紹介(フランス、イタリア、ドイツも大体似た語呂の感じです)。
●Brut Nature 残糖量3g/ℓ未満
びしっと辛口(数値以下の表現は個人的主観です)
●Extra Brut 残糖量0~6g/ℓ
これもきりっと辛口
●Brut 残糖量12g/ℓ未満
やや辛口、心地よい甘みを感じる
●Extra Seco 残糖量12~17g/ℓ
これもやや辛口、優しい甘み
●Seco 残糖量17~32g/ℓ
17gと32gだと倍くらい違うのですけど、、まごうことなき甘口
●Semi Seco 残糖量32~50g/ℓ
これも数値の振れ幅でかいですが、、しっかり甘くデザート的
●Dulce 残糖量50g/ℓ
とろんとするくらいの極甘口
ここで注意なのが、上記はあくまでも発泡性のワインの残糖量の表示なので、非発泡性のワインについてはまた別の表示になります(全部の表記は割愛)。
発泡性ワインのSecoは甘口ですが、非発泡性ワインにおけるSecoはなぜなぜどうしてか残糖量4g/ℓ以下の辛口ワインの事を指します。
混乱するー!甘いんじゃないんかい!
こういうのソムリエ試験受験者泣かせですね。
あんまり出題しなそうだけど。
あと2本くらいワインのご紹介をしようと思ったのですが、ここまででかなり割愛しまくったというのにこんなにも長くなってしまったので今日はここまで。
暑くなってきたのでシュワっとしたいお客様が増えてまいりまして、カヴァをはじめとしたスパークリングワインの需要が高まっております。
カヴァの他にもご用意しておりますのでどうぞよろしくお願いします。
雑記
文章が続いたので目の保養を挟みつつ。

注:以下は店に関係ない話です。
江國香織著「シェニール織とか黄肉のメロンとか」を読みました。
題名からして江國さんぽさ満載のおっしゃれ~な空気が漂っています。
(この、あ~ハイハイ今回も江國さんはおしゃれですよねって思っていたことが、まさにこの題名になっている言葉が出てくるくだりで作者の思惑?に鮮やかに絡めとられて一本取られた~となるわけですが、それは読んでいただくしかないとして。)
学生時代からの仲良し3人娘が50代になっても続く交流を描いた小説。
女ばかりが出てきてあーだこーだある日常の一定期間を切り取って描かれていくのですが、ねちねちしてなくてさっぱりした気持ちの良い読後感。
しかし、ふと思ったのです。
台詞がめちゃくちゃ女言葉だらけだな。
言葉の語尾が
~だわ。とか、
~よね。とか、
~なのね。とか、
~かしら。などです。
海外の映画や書籍、または海外の有名人のインタビューなどの翻訳において、
女性の話す言葉が女言葉で翻訳されることについて違和感がある。
日本語の女言葉は英語など外国語では基本的に存在しないので中立的な言葉で訳すべき。
だとか、
日本語話者の女性で女言葉を使う人は若い世代になるほど減っている。
明治時代のお嬢様言葉なので現代にそぐわない。
というような女言葉はよろしくないとする言説を最近ちょいちょい聞くことがあります。
しかし、このシェニール織とか~の文中の女言葉はそこまで違和感はないというか、
わたしより上の世代で特に親世代(私40代、親世代70代)は女言葉で自然に話す人普通にいる気がするし、時代遅れと言うほどでもない。
さすがに~ですのよ。とか、~でして?などというほどのこってりした女言葉ではないし。
はて、女言葉とはなんぞや、、?
そこでこちらも読んでみました。

思っていたよりものすごく奥が深かった。
日本と西洋は物事の考え方(日本は受動的で西洋は能動的、キリスト教の影響など)から違うので言葉の成り立ちと使われ方も準じて違うことが丁寧に説明されています。
日本語には女を差別してきた形跡がはっきりと現れており、女が付く言葉にはマイナスな意味合いが多い事。
日本のジェンダーギャップ指数の恐るべき低さの理由も無意識のうちに使っている言葉にとことん染みついて深く浸透しきっているのだ。
という事実に愕然としました。
では、江國さんの小説の女言葉にはなぜそれほど嫌な感じはしないのか。
それについてはっきりと答えがありました。
語尾が女言葉なのが問題ではなく、「女らしい言い回し」に問題があるのだと。
たとえば、
「あなたもそう思わない?」
というような断定しない言い方で自分よりも周りをまず気にする。
「もし誰も反対でなかったら・・・」
遠慮深くへりくだった表現。
「本当は・・だけど・・・でいいのよ」
主張しているようで相手の言うとおりにすると告げている。
ざっくりいうといわゆる謙虚な話し方という事ですね。
自分の主張はせずに相手を立てて一歩引く表現。
森喜朗元首相からわきまえていると言われるやつです。けっ
かつての若かった頃のわたしも社会で円滑に生きていくにはわきまえが必要と思っていた時期がありました。
上下関係の潤滑油と勘違いしてました。
勘違いというか、日本の社会構造にそれが自然に組み込まれてしまっていておかしいと思ってなかったというのが正しいのか。
就職する時に母親から「上司に可愛がられる人になりなさい」と言われたことをよく覚えています。
今思えばこれはやんわりとした「お前、わきまえろよ」ですね。
なんちゅう余計なアドバイスだ。
もし今わたしに上司がいて、君はわきまえていて良いね!なんて言われたら己を恥じますよ。穴があったら入る。
それは能力の評価じゃなく、従順で都合よく扱いやすいだけの入れ替え可能な中身のない女と言われているようなものだから。
江國さんのシェニール織~に登場する女性たちにはどれだけ語尾が女言葉であっても女らしい言い回しをしていなかった(人物によってはあったと思うけど)。
特に理枝と薫の二人だが、わたしはこうしたいああしたい、こうする、こうしよう、これが良い、アレが良いとのびのびとした意思を表していたのです。
だから清々しく読了できたのかなと。
外国語から日本語への翻訳で女言葉を使われることについてもこの本「女ことばってなんなのかしら?」に言及されていたのでご興味あればぜひ。
しかし、こわい。言葉こわい。
きっとまだ女(弱者)らしい言い回しを無意識で使ってる。
なんで若い時は考えが及ばなかったのだろう。
この本の作者は1945年生まれで子供のころから意識を持って考えてきたそうで。
わたしももっと考えて生きなくてはと思わせる出来事でした。
この[思わせる]も日本独特の言い回しらしい。すごく使ってる。やだやだ無知すぎる。
『「考える事が重要だ」という人たちは、重大な事実を見逃している。
それは、人間はものを考えないですむ生活を目指して生きているという事実だ。』
國分功一郎著書「暇と退屈の倫理学」より。
ぐああー、、これまさに、、
とてもめんどくさい文章が長く長くなりましたので、
軽やかなピアノのタッチで心ウキウキ頭すっきりのこちらで〆
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